恐るべきスウィフトは自分にとって不都合な真実も暴き出す。

 ジョナサン・スウィフトはいわゆる王権派であるトーリー党で論戦を張っていた人だったが、民権派であるホイッグ党の台頭にあって将来の栄達の希望を失い、失意のままアイルランドのダブリンにある聖パトリック教会の主席司祭になったというようなことが文学辞典には書かれている。18世紀当時の複雑な英国や英国を取り巻く政治や宗教の状況については詳らかにしないし、ましてやスウィフトの心の内は想像にあまるが、ただ一つはっきり言えるのは、スウィフトの批評眼や筆法がどこまでも鋭く公平なことだ。
 『ガリヴァー旅行記』の最後の方に次のような一節がある。

 しかし我輩が、これら新発見によって、わが陛下の領土を拡張することに心進まなかったというのには、いま一つ理由があった。正直に言ってしまえば、かねて我輩はこうした場合、君主がその正義を推し及ぼす方法に関して多少の疑念を持っていたのである。たとえば一隊の海賊が、暴風雨に吹かれて何処とも知らず漂流し、ついにボーイの独りが檣頭(しょうとう)から陸地を発見する。上陸して掠奪する。無辜の住民に邂逅して、親切な処遇(もてなし)を受ける。そして国土に新しく命名し、国王のために領有宣言を行って、記念に腐った板切や石柱を建てる。それから土人が二三十人殺され、一組の男女が見本に無理に連れて行かれる。そして帰国すれば、彼らの罪業はすべて特赦を受ける。さてここでいわゆる親権享有者の名前によってなされる新領土の礎石がはじまるのだ。すなわち、早速船が派遣されて、土人たちは放逐されるか、殺戮されるかするし、酋長たちは拷問の苦しさにすっかり所有金を吐き出してしまう。あらゆる残忍、貪婪が公々然と許容され、大地は民の血に腐臭を放つのだ。そしてこの敬虔きわまる遠征に従事する呪うべき殺戮者の一隊こそ、実に彼らのいわゆる偶像崇拝者である蛮民どもの改宗、開花を目的に送られるという、近代植民の実情であるのである。(中野好夫訳『ガリヴァー旅行記』新潮文庫、373-4頁)

 ガリヴァーが人から新しい領土を発見したのだから大臣にその旨を上申すればよかったのにと言われて、それをしなかった理由を述べたくだりだ。『ガリヴァー旅行記』が刊行されたのが1726年、それに先立つ7年前の1719年ににデフォーの『ロビンソン・クルーソー』が発表されているが、この英国植民地主義の教科書ともいうべきロビンソン・クルーソー』をスウィフトが読んでいたかどうかということは別にしても、スウィフトはヨーロッパ諸国の植民地主義の悪辣さに異議申し立てをしている。スウィフトの天才は、彼がどのような主義主張を持っていたかに関わりなく、物事の真実を透徹してしまうところにある。すばらしいカメラレンズが、カメラを使う人がどのような立場にあろうと、どのような主義主張の持主であろうが、物事の細部までくっきりと写し出してしまうに似ている。相手にとってばかりでなく、本人にとっても不都合な真実さえ暴いてしまうのだ。スウィフト恐るべしである。

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